小林 勇斗『私の役割は、選手が最高のパフォーマンスができるようサポートすること』

小林 勇斗
1988年生まれ。北海道札幌市出身。0歳からベビースイミングを始め、幼少期から既にオリンピックを目指していた小林さん。大学卒業後は種目を個人メドレーとオープンウォータースイミングの二刀流=《デュアルスイマー》に挑戦。オリンピックはオープンウォータースイミングに切り替え出場を狙った。しかし夢は叶わず2013年世界水泳を最後に引退。その時に出会った柔道整復師に感銘を受けその道に進むことを決める。その後6年間で柔道整復師、鍼灸師の国家資格を取得し2022年に地元札幌に「SŌMA接骨院」を開業。


これまでのキャリア

●2001年 全国大会出場 / 200m個人メドレー北海道学童新記録樹立
●2003年 JOCジュニアオリンピック水泳競技大会 / 400m個人メドレー優勝
     全国中学校水泳競技大会 / 400m個人メドレー準優勝
●2005年 インターハイ / 400m個人メドレー 第3位
●2006年 国民体育大会 / 400m個人メドレー 準優勝
●2008年 ジャパンオープン/400m個人メドレー第3位  1500m自由形第3
●2009年 インターカレッジ / 400m個人メドレー準優勝
     日本選手権 / 400m個人メドレー第7位
●2012年 ロンドンオリンピック世界最終予選 出場
●2013年 世界選手権水泳競技大会 オープンウォータースイミング
     ・5km 53:48.0(+17.6) 25位
     ・10km 1:50:17.4(+1:05.6) 26位
●2013年 水泳指導員資格取得
●2014年 柔道整復師専門学校(夜間)入学
     昼は水泳指導やデイサービスで勤務
●2017年 柔道整復師国家資格取得
     鍼灸師専門学校(夜間)入学 / 接骨院勤務
●2020年 鍼灸師国家資格取得
●2022年 札幌にてSŌMA接骨院開業


■0歳から水泳と出会う

母親に連れられて0歳の時からベビースイミングに通いだす。北海道で生まれたこともあり日常的にスキーをやりながら水泳の方を優先し取り組んでいた。すると水泳がメキメキと上達し、北海道で200m個人メドレーで学童新記録を出す。そして6年時には全国大会に出場。
練習環境は北海道の場合、学校に水泳部というものがなく学校外の水泳クラブで日々練習に励むことになる。中学生になると能力が一層開花し、400m個人メドレーで全国準優勝という成績を残す。そしてジュニアオリンピックでは同競技で優勝を飾る。高校はスポーツ推薦で水泳環境の整った東京の日本大学豊山高等学校に入学。北海道を離れ寮生活をしながら日々練習。インターハイでは400m個人メドレー第3位、国民体育大会で2位という成績を残す。しかし、中々勝ちきれなかったことから指導者から自由形の長距離に転向を勧められるが、個人メドレーに強い思い入れがあり長距離には転向しなかった。
大学は日本大学に進む。インカレで400m個人メドレー2位… 4年間インカレに出場したが、必ず決勝まで進むも優勝を飾ることはできなかった。
「思い入れのある種目で表彰台に立ちたい」という想いが強く、その後も同種目でオリンピック強化指定選手となり次のオリンピックを目指した。
大学卒業後はミキハウスに就職。ミキハウスは水泳に専念できる環境が整っていた。日本は世界的に見ても400メートル個人メドレーは強い。
オリンピックの出場枠は2枠。その後大活躍する、荻野選手や瀬戸選手がメキメキ力をつけてきた。


■2011年に競泳とオープンウォータースイミングの二刀流
 =《デュアルスイマー》に

オープンウォータースイミングは、2008年北京オリンピックより10kmの競技が正式競技となった。400m個人メドレーに対する強い思い入れがあったが、やはりオリンピックに出たいというのが一番の目標で、後輩がメキメキ力をつけてきている個人メドレー競技より、もともと長距離が得意だった小林さんはオープンウォータースイミングでオリンピックを目指した方が近道だと考え、2011年に競泳との二刀流(デュアルスイマー)で勝負することにする。
オープンウォータースイミングは長距離を泳げる泳力と駆け引きが重要な種目で、この種目のオリンピック出場枠は各国にあるわけではなく、オリンピック予選会(世界大会)の成績上位から選ばれる為、予選会(世界大会)で上位に進出する必要があった。
コースロープもなく全員が色んな駆け引きをしながらレースをする。マイペースで淡々と泳げばいいというものではない。世界各国から勝ち抜いた精鋭たちが出場。「単純に長距離を泳げればいいというものではない。レース経験も浅かったので駆け引きで負けた。進路妨害等でイエローカード2枚もらってしまい失格に終わってしまいました」と小林さん。ロンドンオリンピックに出場したら引退しようと考えていたが、予選会で敗れオリンピックには出場できなかった。流石にこれで引退はできない。ここでやめたら絶対に後悔すると思い、もう一年続けることを決意。2013年の世界水泳に標準を合わせた。


■人生に最大の影響を与えた柔道整復師の先生との出会い

その時に出会いがあった。柔道整復師の先生との出会いがもう一度世界を目指そうと思うきっかけとなった。 1年1年高い目標を掲げそれに向けて努力し、達成できなかったら引退すると決めていた。2013年世界水泳5㎞で優勝したのは前年ロンドンオリンピック1500m自由形優勝のウサマ・メルリ選手(チュニジア)。上位入賞者に実力者が入るかなりハイレベルなレースの中、小林さんはトップと17秒差の53分48秒で25位という結果。手ごたえを感じた瞬間であったと同時に、目標としていた結果を出せなかったことで一線を退く決意をする。「オリンピックに出場できなかったものの、2013年の世界水泳でやり切った感もあった。一線を退くことに後悔はなかった」と小林さん。
ミキハウスに残る選択肢も頂いたが、出会った柔道整復師の先生の影響で引退後にそのような人になりたいと迷わずに決めた。先生のおかげで自身の身体も想像以上のコンディションになっていたし、自分もこれからの水泳界のために先生のような選手にとって影響力のある人間になりたいと思った。
医療資格なので3年間専門学校に通い、柔道整復師の国家資格をとった。
昼は仕事をしながら夜は学校に通うハードな日々が始まった。
柔道整復師の資格を持ってからは接骨院で働きながら、また夜に鍼灸の資格をとるために3年間専門学校に通う。結局6年間学校に通った。
「今後のためとはいえ、夜は学校で勉強、昼は普通に働いていました。正直かなりハードで必死の6年間でした」と小林さんは振り返る。


■念願の接骨院を開業

自身がオリンピックを目指し、ハードなトレーニングをこなし臨んだが結果予選で失格となった2012年。ボロボロになった身体を整えて頂いたのが柔道整復師の先生。その施術のおかげで蘇り2013年の世界水泳で自分自身納得できる結果を残せた。水泳選手と柔道整復師は無縁のようでそうではない。そう言える経験があるからこそ、この資格を取った。
2014年から3年で柔道整復師の国家資格を取得し、東京で5年間修業しながら鍼灸師の国家資格を取得。その後、2022年に念願の「SŌMA接骨院」を開業。他の接骨院とは違う方針を打ち出し、小林さんなりにしっかりと役割を考えてスタートした。
身体への負担や痛みが少ない施術。様々な施術を受けてきた中で小林さんが1番効果を実感できた施術方法を取り入れている。「私の役割は、痛みで競技を続けられなくなる選手をひとりでも少なくし、伸び悩む選手に対して手を差し伸べられる存在でありたい。私がそうしてもらったように、今度は自身が地元北海道でそうなりたいんです」と小林さんは力強く語る。
実は北海道で開業した理由がある。「北海道はある意味スキー王国でウインタースポーツが強いイメージがあるが、競泳でも日本代表として活躍している選手はたくさんいる。そういった選手が北海道からもっと将来生まれてほしい。そして私の役割は選手が最高のパフォーマンスができるようサポートすること。競技力が上がらないという悩みにも応え、これからもアスリート支援をずっとこの北海道でやっていく」と力強く小林さんは語ってくれた。

 

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