安部 篤史『悩みや挫折を経験しながら大きくなった夢、そして実現。自分を育ててくれた水泳に恩返しを、そしてアーティスティックスイミングと男子選手の存在をより多くの人に知ってもらいたい。』

安部 篤史
1982年生まれ。東京都出身。3歳から水泳を始める。中学までは競泳で数々の実績を残し高校は推薦で進む。しかしその後は中々結果が出ず高校三年生で競泳から引退を決意。その後大学に進み、映画「WATER BOYS」を観てシンクロの世界に感動し大学在学中に水中パフォーマンスチームに入団。その後ドラマ版の「WATER BOYS」に出演。そしてシンクロを競技として始めることを決意。2009年、2011年とFINA非公式ではあったが世界大会へ出場。メンズカップで世界2連覇を果たす。2015年の世界水泳ではシンクロナイズドスイミングの公式種目となったミックスデュエットに出場。2019年の世界水泳ではテクニカル、フリー共に銅メダルを獲得。男子シンクロ選手史上初のメダリストとなり、その後引退。
2019年には、「シルク・ドゥ・ソレイユ」に入団。その後日本に帰国し、水泳・アーティスティックスイミングの指導者、競技解説、ショーやエキシビション出演、オンラインでの講義などアーティスティックスイミングの普及の活動に携わる。また日本水泳連盟AS委員会ナショナル強化部部会メンバーとして男子選手の普及と発展の活動にも携わる。


これまでのキャリア

●2001年 帝京大学入学後、水中パフォーマンスチームに入団
●2003年 テレビドラマ「ウォーターボーイズ」に出演
●2004年 テレビドラマ「ウォーターボーイズ2」振り付け・指導補佐
●2009年 メンズカップ(FINA非公式世界大会) 優勝
●2011年 メンズカップ(FINA非公式世界大会) 優勝
●2015年 FINA世界水泳選手権(ロシア・カザン) ミックスデュエット
      テクニカル5位  フリー7位
     スペインオープン ミックスデュエット  フリー2位
●2016年 FINAワールドトロフィ ミックスデュエット3位
●2017年 FINA世界水泳選手権(ハンガリー・ブダペスト)ミックスデュエット
あいうえおかテクニカル4位 フリー4位
     FINAワールドシリーズ フレンチオープン
      テクニカル2位  フリー2位
     ジャパンオープン 2位
     スペインオープン 優勝
     ウズベキスタンオープン 優勝
●2018年 FINAワールドシリーズ フレンチオープン
      テクニカル2位  フリー3位
     ジャパンオープン  テクニカル2位 フリー2位
     ギリシャオープン  テクニカル2位 フリー3位
●2019年 FINA世界水泳選手権(韓国・光州) ミックスデュエット
あいうえおかテクニカルフリーともに銅メダル獲得
      FINAワールドシリーズ フレンチオープン
      テクニカル優勝  フリー優勝
     ギリシャオープン   テクニカル優勝  フリー2位
     ジャパンオープン   テクニカル2位  フリー3位
     チャイナオープン   テクニカル2位  フリー3位
     スーパーファイナルハンガリー   テクニカル2位  フリー3位
●2019年 シルク・ドゥ・ソレイユに入団 「O」ショーに出演


■競泳選手だったけど、シンクロの道に

3歳から地元の南光スイミングクラブに通い水泳を始める。順調に小学生で力を伸ばし、高校は特待生で埼玉栄高校に入学。ただ、全国大会予選となると色々なプレッシャーから結果を残せず、インターハイ出場も叶わなかった。そして競泳界から引退を決意する。
「特待生で色んな期待を背負い、プレッシャーに負け、全く結果を残すことができませんでしたが。もう水泳とは離れようと引退を決意しました」と安部さん。ちょうど18歳の時だった。その後、帝京大学に進学したが水泳部に所属することなく普通の日々を過ごしていた。ところが幼少期から打ち込んだ競泳への時間を忘れることが出来ず、塩素の匂いに導かれるように水泳部に入部し新たな夢を探すことに。
「やはり自分は泳ぐことが大好きだ」と再認識していた時、映画「WATER BOYS」を観て男子シンクロの世界に魅了された安部さん。泳ぐことがこんなに団結力を高めるのか・・・と感動し、「自分もシンクロをやってみたい」と感じたという。
その後「WATER BOYS」を演出した会社が新人募集をしていることを知り応募。それが「トゥリトネス」だった。
2002年迷わずオーディションを受け入団する。そして翌年のドラマ版「WATER BOYS」の出演が決まり、初めてウォーターボーイズというエンターテイメントとしてのシンクロの合宿を行う。全員が同じように泳げるのではなく、様々な人が同じ目標に向かって団結力を高めていく。これこそが安部さんがやりたかったこと。この経験がこの後の行動に生かされていく。
2003年に出演した後、2004年には「WATER BOYS2」で水中演技の振り付け、指導に携わる。


■自分の性格はショーでは通用しないと感じた日、
そして本格的にシンクロ競技の世界へ

「実は幼少期から人前が苦手で、メンバーとの練習の時でさえ下を向いてしまう。でも水の中では何でも出来てしまう。それが逆に個性がないと学ばされました」と安部さん。焦りや劣等感さえ覚えた。
そんな時、主宰の不破さんから「同期の誰よりも水中での才能がある。本格的にシンクロを練習してみないか。いつか男子シンクロの世界が切り開かれる日が来るかもしれない」というアドバイスがあり、そこから練習も人一倍力を入れて高度な技を身に付けていった。自分への自信の無さからステージでの披露などへは抵抗感があったが、技を身に付け少しずつ披露していくうちに仲間たちからも認められはじめ、ステージでソロ演技を披露することにも気持ちの違和感もなくなっていった。加えて、観に来てくださったお客さんから拍手喝采していただけることに喜びを覚えはじめた。
団結力というものを経験し、そして次の夢は男子シンクロ選手として競技会に出ること。そしていつか世界の大会のステージに立てるようになりたいと決意する。


■男子シンクロのパイオニアになる

アーティスティックスイミング(かつてのシンクロナイズドスイミング)は歴史を辿ると「スタントスイミング」と呼ばれ実は男子の競技だった。
今でさえ美しさや華麗さを求められる競技ではあるが、そこに力強さが加わることにより、今まで見たことのないような力強い演技を魅せられるのが男子の特徴。と言っても安部さんが始めた頃は、日本には競技としてやっている人はいなかった。世界大会はあるものの2009年に開催された「メンズカップ」はまだワールドアクアティクス(旧国際水泳連盟FINA)非公認の大会であった。
世界大会で通用する選手になるためには、まだまだ高い水準で技を覚えていかないと駄目だと感じた安部さん。当時「トゥリトネス」に所属していた女性メンバーに指導をお願いした。そして2009年大会の「メンズカップ」という世界大会に出場し見事優勝。そして2011年の大会にも出場し優勝。大会二連覇を達成する。ただこの大会は日本水泳連盟からの派遣ではなくあくまで個人での参加だった。優勝しても話題には上がらない状況であり日々悩んだ。でもいつか「変化が起きてチャンスが来る」という信念のもと練習を続けていった。
そして2014年、嬉しいニュースが飛び込んできた。2015年の世界水泳選手権にシンクロ男女混合デュエットが正式種目に決定した。そして選考会への参加を表明した。しかし大きな問題があった。今までの男子シンクロは、底に足が届く浅いプールでの演技が主であったが、公式の大会では水深の深いプールで演技をする必要があった。選考会まで3か月という短期間であったが多くの課題に立ち向かい続けた。
「自分が信じ続けてきたことを信じ切る」という強い気持ちで選考会を1位で通過する。そして女子で1位だった足立選手とペアを組むことが決定。


 ■念願の世界水泳に出場、そしてついにメダリストへ

2015年の7月に開催された世界水泳はデュエットを組んで5ヶ月後の大会というタイトなスケジュールだった。休むことなく必死で練習する中、多くのメディア取材を受け戸惑うところもあったが、競技の普及に繋がる嬉しさも感じていた。でも時に自分が話した内容と違うものが報じられることもあり、それを跳ね返すくらいの練習と準備をしたかったが、中々気持ちを切り替えていくことができず大会までの5ヶ月があっという間に過ぎ去っていた。
そして世界水泳本番、今まで経験したことのない緊張とプレッシャーで自分の本来の演技ができなかった。普段通りにやれば出来る演技もできず5位という結果に終わる。
しかし、男子シンクロとしての迫力ある演技は、女子だけでは表現できなかった演技や大技を繰り出し人々を感動の渦に巻き込んだ。そしてたくさんのメディアが取り上げてくれるようになった。
そうした功績が認められ2016年に株式会社よみうりランドの男子シンクロチームの指導振り付け補佐を務め、2017年からは所属契約を締結する。その年の世界水泳は4位であと一歩メダルに届かなかったが、2019年ついに夢が実現する。光州(韓国)で開催された水泳の世界選手権アーティスティックスイミング(AS)のミックスデュエット・テクニカルルーティン(TR)決勝で、足立選手とペアで見事に銅メダルを獲得する。フリールーティンでも銅メダルを獲得し2回も表彰台に立つことになった。
そして9月に引退を表明する。

 


■3つのうちの最後の夢、シルク・ドゥ・ソレイユ

1つめは「WATER BOYS」、2つめは「男子シンクロ選手」。そして3つ目の夢は「シルク・ドゥ・ソレイユ」出演だった。
2016年、お世話になった「トゥリトネス」の退団という大きな決断をして一歩を踏み出した。自らシルク・トゥ・ソレイユにデモテープを送り高評価を得たものの、2016年当時は出演ポジションがなく結果不合格。そして翌年の2017年は自身の修行の意味も込めて世界水泳に向けて気持ちをシフトチェンジしシンクロ選手に専念。そして2019年にシルク・ドゥ・ソレイユからポジションが空くかもしれないと連絡をもらい急いで新たなデモテープを送る。そして世界水泳でのメダル獲得と時を同じくしてシルク・ドゥ・ソレイユから正式に合格と「O」へのオファーの連絡をもらう。シンクロ競技引退後間もなくラスベガスに渡り現地でトレーニングを積み念願の「O」ショーに参加することとなる。ラスベガスでは1年間「O」というショーに出演。その後コロナ禍の影響でショーが一時クローズとなり帰国。その後はそのまま日本にとどまる事になったものの、大きな夢を実現できた達成感を感じた。


■夢は実現できると思っている

安部さんは誰もが認める男子シンクロのパイオニア。シンクロの世界に男子の存在感を示した。今や4歳からはじめている選手もいて後継者もいる。
2024年のパリ五輪ではミックスデュエットの導入は見送られたもののチーム種目に男子が2名まで入れる新ルールが採用された事により、男子選手への五輪参加への門戸が開かれた。安部さんは「この先ミックスデュエットは間違いなく五輪種目に入ってくる。世界選手権で日本がメダルをとったという実績は後輩たちの今後に生かされると信じている。」
安部さんの夢はまだまだ続く。「男子アーティスティックスイミングをもっともっと広めたい」「水泳界に恩返しがしたい」。まだまだ浸透していない男子アーティスティックスイミングではあるが、今はアーティスティックスイミングの先生(コーチ)と、スイミングスクールのコーチ、そして呼ばれたらエキシビションやショーにも出演する。自分をここまで育ててくれた水泳を通して夢を見つける作業は続けている。日々の生活においてどんなチャンスがいつ舞い込んでくるかわからない。それは今の若い選手にも言い続けている。変化を信じ続けていけばいつか必ずチャンスが来る。そのチャンスを見逃さないためにアンテナを張りながら地道に準備をする。今もその信念のもと夢への探究と準備を進めている。

 

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