志水 祐介『アスリートは永遠のヒーロー的存在に』

志水 祐介
1988年生まれ。熊本県熊本市出身。小学生から水泳とサッカーをはじめる。中学生の時に前十字靭帯を断裂し、サッカーを断念。膝に負担のかからない競技をやろうと思っていたところ、友人の勧めで水球を選択。「熊本ジュニア水球クラブ」で水球を始める。その後、水球推薦で埼玉県の埼玉栄高校に、そして筑波大学へ入学。大学卒業後、新潟県の実業団チーム「ブルボンウォーターポロクラブ柏崎」に入団。そして日本選手権優勝に貢献。大学時の2008年には日本代表としてワールドリーグアジアオセアニアラウンドに出場。その後も日本代表として活躍し、2016年リオデジャネイロオリンピック、2021年東京オリンピックに出場。リオデジャネイロオリンピックではキャプテンを務める。日本だけではなく海外のチームでも活躍。アジア人初の海外プロクラブチーム(ハンガリー)でキャプテンを務め、2022年3月に現役を引退。その後2022年10月に一般社団法人アスヒロを設立。


これまでのキャリア

●2008年 日本代表に選出 ワールドリーグアジアオセアニアラウンドに出場
●2012年 「ブルボンウォーターポロクラブ柏崎」日本選手権水泳大会水球の部で優勝
●2016年 リオデジャネイロオリンピック出場 キャプテンを務める
●2018年 ブルボンKZ日本選手権2回目の優勝
●2021年 東京オリンピック出場
●2022年 引退後 一般社団法人アスヒロを設立


■水球が本当に楽しかった

まだまだ競技人口が少ないイメージのある水球。しかしヨーロッパ諸国ではプロリーグが存在するほど競技人口も多くメジャーなスポーツ。日本では社会人リーグというものも存在しない。日本選手権でも全日体(Kingfisher74)が日本一の座に何度もついている。中学から水球を始めた志水さんは、特待生で埼玉栄高校へ進むも優勝を成し遂げることはできなかった。でも辞めようと思ったことはなく、大学もスポーツ推薦で筑波大学へ進む。”水球イコール日本体育大学”というのが王道のイメージで、その日本体育大学からも強いラブコールはあった。しかし志水さんは、日本体育大学の連勝記録を止めてみたいという想いと、中学と高校の教員免許をとるために筑波大学を選んだ。
水球を続けられるのも大学までという可能性もあったので、将来を見据えての選択だった。だが、日体大の牙城は崩せず大学4年間が終わる。
それでも厳しいトレーニングで培った個人レベルはさらに磨きがかかり、まだまだ水球を続けていきたいと思った。
水球というスポーツは、深いプールでずっと立ち泳ぎをし、水上でボールをまわしながらゴールを奪うスポーツ。ルールも厳しくゴールキーパー以外は両手を使えない。考えられないほどの持久力と筋力が必要。それでもずっと楽しかったと志水さん。


■社会人になっても水球と共に歩む

大学卒業後、2010年に新潟県柏崎市で立ち上がったチームから強いオファーを受け入団。当時の日本代表や日本選手権出場者が集結した『ブルボンウォーターポロクラブ柏崎』である。
柏崎市は水球との歴史が長く環境も整っていた。選手は市内の協賛企業に勤務しながら競技に取り組む体制が整っていた。お菓子で有名なブルボンの本社は新潟県柏崎市にあり、株式会社ブルボンを中心に柏崎市や多くのスポンサー企業でチームが運営されている。そのため選手専任の契約はなく、選手でありながら運動トレーナーや中学教員と二足の草鞋で活動していた。
志水さんを筆頭に、ブルボンウォーターポロクラブ柏崎はチーム立ち上げから快進撃を続け、チーム発足一年目で日本選手権予選を圧倒的な力で勝ち抜き、本選初出場を果たした。その後志水さんは活躍の場を世界へと移す。世界から見ればまだまだ日本は強豪とは言えない。対等に戦うためには体力だけでなく技術も身に付けないといけない。夢を叶えるために安定の職(教員)を辞め、アルバイトをしながら、KFC BREAKERS(オーストラリア)、PALLANUOTO BRECIA(イタリア)、RACIONET HONVED(ハンガリー)などに渡りプロ契約を結ぶ。本場での戦い方や技術を学び帰国し、ついにその成果が発揮される時が来る。

 


■32年ぶりのオリンピック出場。水球(ポセイドン・ジャパン)

水球のリオデジャネイロ・オリンピックアジア予選を兼ねたアジア選手権が中国・佛山で行われ、日本男子はライバルの中国に16-10で圧勝。そして4戦全勝で優勝し、1984年のロサンゼルス大会以来32年ぶりにオリンピック出場権を獲得。サウスポーから繰り出す力強いシュートを武器に中心選手として活躍したのが志水さん。2016年のリオデジャネイロオリンピックではキャプテンという重責を託された。結果は残念な結果に終わったが、オリンピアンとしての名誉を獲得した。
2017年には試合中に左肩の筋肉を断裂する大怪我を負い手術をしたが、その後厳しいリハビリを積み重ね2019年の世界選手権では5得点をあげる。そして東京オリンピックにも代表選手として出場。オリンピック前の2021年1月から水球の強豪セルビアのクラブチームに期限付きで移籍し、東京オリンピックに向けて経験を積んだ。
そして2022年3月に現役を引退。すべてここまで自分のプラン通りに進んできた。決して楽ではなかったけど水球に打ち込み、オリンピアンとなり選手生活をしっかりと全うすることができた。


■「人徳」をしっかりもつこと

「人徳」をしっかりもつこと。選手生活を通して常に考えていた。
普通にできることをしっかりできる人が人徳を持っている人間になれる。
挨拶や礼儀、当たり前のことだが出来ない人も多い。人徳があれば運を惹きつける。志水さんはこの言葉を常に選手時代から思っていた。
だからこそ選手時代にセカンドキャリアも考えていた。
「選手時代は意外に時間はたっぷりある。時間がないからセカンドキャリアを考えることができなかったというのは言い訳だと。セカンドキャリアで悩む人は時間の使い方が甘いと思う」志水さんは強く言う。
セカンドキャリアを考える時間はいくらでもあった。社会人になってから常に考え、リオデジャネイロオリンピックに出場できた時も、その後のセカンドキャリアを構想していたし、色々と勉強して自分なりの計画を練っていた。
引退後、柏崎市の株式会社ブルボンに残るというオファーもあったが、2022年10月に東京都武蔵野市に会社を立ち上げる。自身の経験から、スポーツの在り方を変えなければならないと思った。


■一般社団法人アスヒロを発足「身近なオリンピアン」

社団法人立ち上げた理由
「子供や地域の身近なオリンピアンとなり、スポーツによる体験を通じて子供に夢や希望を持ってもらい、地域を活性化する活動を行っていきたい。子供たちには身近なオリンピアンとの触れ合いを通じて、スポーツが持つ本来の楽しさを知ってもらうことで、将来の夢や希望をもってもらう活動を展開していきたい。そしてスポーツを通じて地域を盛り上げ、活性化する 『未来のブカツ』(経済産業省)の先駆けとして、子供や地域の人々、行政、企業を繋ぐモデルを構築していく。そして、アスヒロで構築したモデルを東京都武蔵野市から全国へ広げていきたい」と志水さんは語る。
水球だけではなく、今後は色んなスポーツ競技のアスリートと連携をはかっていきたいと。


 ■社団法人をもちながらも様々なところで活躍中

志水さんは現在、成蹊大学の水球部コーチ、そして全国の水球トップ選手の育成、お世話になった株式会社ブルボンとのアンバサダー契約、保育園のスポーツアドバイザー契約支援センターとの月一回の契約、熊本市親善大使と多忙な日々を過ごす中、スポーツの在り方を変えたい一心で取り組んでいる。
そして今でも企画書を作成して企業訪問し、企画提案を行っている。待っていても何もついてこないということは身をもってわかっている。
オリンピアンであっても受け身であってはいけない。
学ぶことはまだまだたくさんある。上手くいかないことが1番の材料。
自分の武器を活かす。自分の武器を頭で考え研ぎ澄ませる。
まだまだチャレンジが続けられる34歳。とにかく動く!!ということを常に考え前に前に進んでいる。

 

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