田島 創志『ツアープロとして一生やる夢を見続け 裏で日本のプロゴルフをもりあげていきたい』

田島 創志
1976年生まれ。群馬県出身。
高崎高校時代ゴルフ部はなく個人で活動していたが『関東大会』2位などの成績を収めた。
日本大学進学後は常に決勝までいくがタイトルはあと一歩だった。
2000年にプロ転向。
2003年に『久光製薬KBCオーガスタ』で初日に64をマークして首位に立つと、その後もスコアを伸ばして一度も首位を譲らないまま19アンダーで初優勝を飾った。 その後はパッティングに苦しんで低迷。2011年に出場権を失いツアーを離れる2014年に下部ツアーで優勝後、運営側に回り男子ツアー団体競技担当理事として、日本のプロゴルフ界を盛り上げている。若手プロゴルファーからも絶大な信頼を得ている。


これまでのキャリア

●10歳でゴルフをはじめる
●1996年 日本学生選手権で準優勝
●1998年 日本アマチュアマッチプレー選手権で準優勝
●2000年 プロ転向
●2003年 久光製薬KBCオーガスタで初優勝
●2006年 全日空オープンで7位
●2014年 NOVILカップで優勝
●2016年 ツアー団体理事就任
●2020年 ツアー団体競技担当理事就任


■様々なスポーツを経験してゴルフでプロを目指そうと決めた

「ゴルフは父の勧めで10歳のころにはじめました。でも好きではなかったですね。当時はサッカーに夢中で将来はサッカー選手になろうと思ったくらいでした」
と田島さん。
田島さんの父はモスクワ五輪の陸上コーチも経験されているアスリートの方。
「ゴルフをやるにしても他のスポーツで全身を鍛えないと強靭な身体にはならない」というお父様。
そしてサッカーをはじめ様々なスポーツを経験した。
高校生になる頃にちょうどJリーグもスタートしサッカー選手の夢も持ち始めていたもののゴルフの腕がめきめきと上達。高校時代はゴルフ部には所属せず個人で関東大会に出場。群馬県では常にトップを取り関東大会でも見事優勝している。
その後の日本ジュニア選手権でも3位に入ったことでゴルフの道に進もうと決心した。
大学は迷わずゴルフ部が強い日本大学へ進学。今でこそ東北福祉大学も有名だが当時は日本最強の大学ゴルフ部で、そこから本格的にプロゴルファーを目指す。
大学時代は個人優勝こそなかったものの、日本学生選手権ではプレーオフに敗れ二位。そして日本アマチュアマッチプレー選手権でも準優勝に輝いた。その後のプロテストでは「落ちることは考えませんでした。トップで通過することだけを考えてました」と見事プロテストに合格し2000年にプロゴルファーとなる。


■順調だったスタートからのツアー初優勝だったが

2000年プロ転向後、6月にはトーナメントへ出場。順調なスタートをきった。
大手クラブメーカーとの契約もあり、プロツアー出場には申し分のないサポートを頂いていた。そして2003年には久光製薬KBCオーガスタで初日に64をマークして首位に立つと、その後もスコアを伸ばし一度も首位を譲ることなくトータル19アンダーで念願のプロ初優勝を飾った。プロゴルファーが先ずは目標とするツアー優勝を見事達成した。その後も優勝こそはなかったもののツアーの出場が確約されるシード権をしっかりとキープしていた。しかし、2011年に出場権を失いQTにも失敗し、収入激減となり一旦ゴルフから離れる決意をする。
ツアープロという肩書は消えるものではないので、またいつかという気持ちではいたが・・・

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■ゴルフを離れて学んだ人との出会いと付き合いの大切さ

田島さんは一旦ゴルフのツアーから離れる決心をした。
田島さんはツアー優勝経験もあるのでレッスンプロで活躍する場もあったが、このタイミングだからこそ接客も含めた仕事も経験をしなければという想いから、大手アパレルメーカーのランニングステーション兼インドア練習場で勤務する話を快く引き受けた。インストラクターだけでなく、施設の清掃、レジ打ち、お客様の接客など今まで経験したことのない仕事だった。様々なお客様と日々接する機会は今まで経験したことのないもので、とても有意義で貴重な時間でもあった。
様々な業務を行う中で不思議とゴルフをやりたいという気持ちにはならなかったが、時間がある時はその施設で練習はしていた。
しかし、やはり1年くらい経つとツアーに出たいという気持ちが湧いてきた。そこから1年間トレーニングと練習をして、次に出場する大会を最後のプロトーナメントにしようという思いで準備をしていた。
上部ツアーから推薦を頂くことも可能だったが、あえて下部ツアーの2014年4月に開催されるNOVILカップに推薦を頂き出場、久しぶりの試合を楽しむことができた。
そしてなんと結果は優勝。でも「下部ツアーでの優勝だし・・・」と思っていたところ意外な喜びが待ち受けていた。
トップツアーで初優勝した時の100倍以上の祝福が届いた。トップツアー初優勝した時は友人や知人から沢山の祝福メッセージを頂いたが、今回は前記の施設で接客したお客様やアパレルメーカーのスタッフ、レジ打ちの業務で自分を知ってくれていたお客様からも祝福メッセージが届いた。
「下部ツアーの優勝なのに・・・。でも心の底から嬉しかった。ゴルフの裏方さんはじめ色んな方に支えて頂いていることを実感しました」と田島さん。


■人の支えになることをやり続けたい

今は、日本のプロツアーを盛り上げるべく様々なお手伝いをさせて頂いている。
自分が小学生時代から活躍されていた青木プロ。青木プロをお手本としてゴルフを頑張って来た。そして今は「ゴルフよりも人の支えになるマネージメントを日本のゴルフ界でできれば」と、青木プロが日本男子プロゴルフツアー団体会長になると同時にお声掛けを頂きお手伝いをさせて頂いている。
「きっとこの人との出会いは何かご縁なのだろう・・・」と、田島さんは出会った一人一人の方々としっかりと関係を築き人脈を増やしていった。
プロゴルファーは、トーナメントの前日に行われるプロアマトーナメントで中々普段会えないような方々とプレイが出来る。そんな方々との出会いもずっと大切にしている。プロゴルファーは実は孤独。だから、そのような出会いはとても貴重な機会と大事にしている。そういった機会や経験から、色んな方々の気持ち、ファンの気持ち、裏方さんの気持ちがわかるようになった。
そういった学びをもってツアー団体の執行役員理事に選出され、今現在は日本男子ゴルフツアー競技担当理事という重要なポストに就いている。
(ツアー団体とは日本のプロゴルフツアーの試合について主催・主管を行っている組織)
アメリカのPGAツアーにも負けないコースセッティング、ラフの長さ、カップの位置、観客席の導入等々、ゴルフを楽しんでみていただくための様々なアイデアを駆使して盛り上げている責任者だ。
「ツアープロでありながら、今のこの仕事が本当にプロゴルファーや観客の裏方として役立っているのを痛感しているし、その行動を今の若手選手は分かってくれている」
と田島さん。今の若手のプロゴルファーは必ず田島さんに挨拶をする。それだけ信頼されている証拠だ。試合に出て当たり前だという感覚ではなく、裏方さんのおかげで試合ができていると言うことをしっかりと若手に浸透させている。
まだまだ夢と希望に満ちている若手だけど、これは将来の自分にきっと役立つものだ・・・と感じてもらうことも自分の役割であると思っている。憧れていた青木プロの横で仕事ができているのが本当に楽しい。
田島さんはゴルフネットワークの解説や、レッスン、ゴルフ雑誌のコメントの仕事も増えているが「コロナの影響もあって今は役員業務が忙しくて他の仕事に手をまわせていない」と。
しかしシニアプロまであと5年。
今一度ひのき舞台に立って活躍をしたいということで現在もトレーニングは継続している。田島さんが出場するころのシニアツアーは今まで以上に楽しくなっていてほしい。
そしてそこで優勝したいと田島さん。楽しみだ。


■今後の日本のゴルフ界

まだまだ日本ではセカンドキャリアというものが浸透していない。
タイではシンハという企業がプロゴルファーのバックアップをしていてセカンドキャリアのサポート体制が整っている。「日本もそういったセカンドキャリアを用意できる環境にしていかないといけない」と田島さん。企業とプロゴルファーが互いにセカンドキャリアを考えていくという機会がこれからは必要になってくるだろう。

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