吉田 裕太『最初は何もできないのは皆一緒、自信を持ってセカンドキャリアに踏み出してほしい』

吉田 裕太
1991年生まれ。千葉県流山市出身。小学校3年生から野球を始める。小学校時代に硬式野球ボーイズリーグで全国優勝を経験する。中学校でも硬式野球を続け、高校は東京の日本大学第三高等学校へ進学。3年時には主将を務め夏の甲子園に出場する。卒業後は東都大学リーグの立正大学へ進学。2年時には日本代表メンバーに選出され日米大学選手権大会に出場。大学4年時のNPBプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団。9年間プロ野球選手として活躍後、2022年に戦力外通告を受け現役を引退。現在は埼玉県にある輸入車専門店「ボンドカーズ」に勤務。


これまでのキャリア

●2008年 第91回夏の全国高等学校野球選手権大会に出場
●2011年 日米大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選出され出場
●2012年 東日本大震災復興支援ベースボールマッチで大学選抜メンバーに選出され出場
●2014年 NPBプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団
●2022年 9年間の現役生活を終え引退
●2023年 株式会社ホソカワコーポレーションに入社


■ポジションはキャッチャー一筋

小学校3年生から野球を始め、硬式野球ボーイズリーグの「流山クラブ」に入団し、ボーイズリーグ全国大会で優勝経験を持つ。身体が大きかったこともあり、野球を始めた当初からポジションはキャッチャーだった。中学校の時は同じく硬式野球の「柏リトルシニア」でプレー。全国大会出場を目指していたが出場は叶わなかった。
高校は監督の勧めもあり日本大学第三高等学校へ進学。全国から有望な選手が集まる強豪校で2年生の夏の大会までベンチ入りメンバーに入ることは出来なかったが、日々の努力や野球に対する姿勢から新チームの主将に抜擢される。高校野球最後の夏の西東京大会で見事優勝し、第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。目標だった甲子園出場を果たす。

小さい頃からプロ野球選手に憧れていたが、今の実力ではプロ野球の世界に入るのはまだまだ厳しいと思い、当時東都大学リーグ1部に所属していた立正大学へ進学する。
1年生から試合に出場し、秋からはレギュラーで起用されるようになった。その活躍が評価され2年生の春季リーグ戦終了後、第38回日米大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選出される。その後も期待通りの活躍で2年生の秋にはリーグ首位打者を獲得した。
日本代表メンバーで共に戦い、同じ東都大学リーグで活躍していた選手がプロ野球に進むのを見て、その頃に初めて「自分もプロ野球の世界で戦えるかもしれない」と思うようになったという。
3年時にも東日本大震災復興支援ベースボールマッチの大学選抜メンバーに選出され、4年時には野球部の主将としてリーダーシップを発揮する。その年、同大学OBで社会人野球でもキャッチャーとして活躍した坂田氏が監督に就任。キャッチャーのノウハウを徹底的に叩き込まれ更に成長していく。そして2013年のNPBプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団する。


■厳しかったプロの時代

入団1年目の2014年、開幕一軍メンバーでスタートする。3月29日の開幕2戦目から先発キャッチャーで出場。このシーズンはキャッチャーとしてチーム最多の50試合に出場し、プロ野球選手として良いスタートが切れた。
しかし、それ以降は相次ぐ故障により離脱と復帰を繰り返すことになる。2021年は公式戦で本塁打を放つ活躍を見せるも、左手関節手術を行ったこともあり7試合の出場にとどまる。その後、2022年のシーズン終了後、戦力外通告を受けた。
入団当初から攻守にバランスの取れた大型捕手として期待されていたが、「怪我も多く思うようなプレーが出来ませんでした」と振り返る。


■NPBだけで続けたかった

戦力外通告を受けたがまだまだやれる自信があり、他球団からのオファーを待った。独立リーグや社会人野球からのオファーはあったがNPBプロ野球球団からのオファーは無かった。「独立リーグや社会人野球からのオファーは大変有難いことでしたが、NPBプロ野球でプレーすることしか考えていませんでした。」
千葉ロッテマリーンズ球団にスタッフとして残るオファーも受けたが、野球から離れた道を考えるようになる。「プロ野球選手となって毎日必死にやっていた自負もあり、後悔なども全く無くやり切った気持ちでした。」
野球から離れた道、「家庭を守るためにどんな仕事でも稼げればいい」と考えていたが、大学の恩師に相談した時に「好きなことをやらないと長く続かない」とアドバイスを受ける。

小さい頃から車が大好きで、スーパーカーと呼ばれる車に乗ることが夢だった。高校1年生の16歳の時、NISSAN GT―Rという車に強烈なインパクトを受けた。「当時父から、そんなに欲しいのなら自分で稼いで買いなさいと言われ、絶対にプロ野球選手になってGT-Rを買おうと思っていました。」 

そして、プロ野球選手となった吉田さんは念願のGT-Rを購入する。プロ野球の世界で必死に頑張る中で、愛車のメンテナンスやカスタマイズをすることが趣味の一つとなった。そのメンテナンスを依頼していたお店が、今の職場になるとは想像もしていなかった。


■社長に直談判

様々な業種を検討し悩んだ中で、やはり大好きな車にかかわる仕事がしたいと思い、現役時代からお世話になっていた販売店の社長に直接交渉した。
しかし、社長からは断られた。
プロ野球界のような華やかな世界ではないという理由からだった。「プロ野球選手というだけで人は集まってくるし、いい意味でチヤホヤされる。そんなことはこの業界では絶対にないと言われました。」
元プロ野球選手というプライドに拘ることも無く、ただ素直に好きなことを一生懸命やりたいという一心で社長に話し、特別扱いはしないという条件で採用となる。
「まだまだ覚えることも学ぶことも沢山ありますが、野球をやってきたからこそ礼儀マナーやコミュニケーション力が身に付いていると思います。入社して1年ですが充実した毎日を過ごしています。」


■悔いはない本当に楽しい

会社への出社は車通勤が認められているが毎日電車で通勤し、会社の最寄駅から徒歩15分、約1時間ほどの通勤時間。普通なら苦になる電車通勤さえも楽しいと話す。「一般の会社員という自覚を持つためでもありますが、電車で通勤する時間も楽しいですし、これからも電車通勤です。」 

日々の業務は、見積書の作成や納車対応などの接客業務から、洗車、清掃など様々。その中の接客業務ではキャッチャー一筋だった野球経験が生きる場面も沢山あるようだ。「キャッチャーというポジションはピッチャーの調子を見極め、その時の考えを尊重し良いところを引き出していく為に沢山コミュニケーションをとっていきます。話すことや本音を引き出すことがとても大事になります。その経験から、接客時にはお客様と自然に打ち解けられるようになっているかなと思っています。」

「好きなことをやらないと長く続かない」と恩師から言われてスタートしたセカンドキャリアの道だが、「好きなことであっても最初は何もできないのは皆一緒だったはず」 と謙虚に学ぶ姿勢を持ちながら日々の業務に取り組むことを心がけている。

プロ野球選手になった時に購入した愛車について尋ねると、「ナンバープレートを外して今も車庫に置いています。一生の思い出の車なので。」と吉田さんは話す。
華やかに見えるプロ野球の世界も非常に厳しい世界で、本来の力を発揮できず若くして戦力外通告を受けることもある。「本当に野球が好きなら続けていくべきだが、やることが見つからない、思いつかないから野球に携わるというのはやめた方がいいと思います。周りの意見や考えを聞いて自分を受け入れ、沢山悩みながら自分の新しい道を見つけてほしいです。」

 

PAGE TOP