野澤 武史『アスリートは引退後がピークになるのではなく、引退後に価値を高めていかなければならない。そのために学び続けること。』

野澤 武史
1979年生まれ。東京都新宿区出身。
小学校5年生でラグビーをはじめる。慶應義塾高校時代は8年ぶりの花園出場
全国ベスト8まで進んだ。その後U19の日本代表にも選出。
慶應大学時代は大学選手権で優勝。日本代表にも選ばれる。日本代表キャップは4。4年時は主将としてチームを牽引。
U23の日本代表に選出。卒業後神戸製鋼コベルコスティーラーズに入団。引退後は出身校である慶應義塾高校や慶應大学でコーチを務めた他、トップリーグや日本代表などのテレビ解説者として活躍。その後は家業でもある山川出版社に就職。
2011年取締役。2018年からは代表取締役社長に。


これまでのキャリア

●1998年 慶應義塾高校時代3年時に花園全国大会に出場ベスト8
●U19日本代表
●1998年 慶應義塾大入学。2年生のとき大学選手権で優勝。日本代表にも選ばれる。日本代表キャップは4。4年生では主将を任される
●1999年 U23日本代表
●2002年 神戸製鋼コベルコスティーラーズに入団。
●2009年 現役を引退。その後母校でヘッドコーチを二年務めた
●2018年 山川出版社の代表取締役社長に就任
●2018年 日本ラグビーフットボール協会 TIDマネージャーに就任
●2020年 一般社団法人 「スポーツを止めるな」代表理事に就任


■ラグビーを始めたのは幼稚舎の部活がきっかけだった

慶應義塾幼稚舎(小学校)では5年生になると部活動が始まる。当時は部活でスポーツができる子がラグビー部という流れに乗り入部を決めた。当時ラグビー選手権では神戸製鋼が1988年からV7という圧倒的な強さもあり、小学生の卒業文集では「神戸製鋼でプレイすること」と書いたと野澤さん。中学もそのまま慶應義塾普通部に進学しラグビーも続けた。
中学でのラグビー部は野澤さんがいた3年間は圧倒的に強く、一番大きな東日本大会では優勝。3年生時は秋10試合で失点10点しか与えていないというくらい強かった。


■社会に入って大変役立った高校時代に身についた決断力

中学卒業後もそのまま慶應義塾高校に進学。高校での練習は一風変わったもので、教員ではない外部の方が監督として土日のみ来られるという伝統のスタイル。平日練習は学生部員で全てのトレーニングメニューを考え実行した。試合のメンバーも部員で決める。ただ強くなるために伝統である猛練習のメニューは継承した。
花園を目指すためにみんなで工夫をしてしっかりと練習メニューは考えた。
選手主体であれこれ仲間と議論しながら練習メニューを工夫するのが楽しかった。結果は出た。強豪ひしめく神奈川の新人戦で優勝した。それが「部員の自信に繋がりモチベーションになり一致団結できた」と野澤さん。
3年時には強豪の相模台工業などを退け8年ぶりの花園出場を果たし全国ベスト8まで進出する。このとき野澤さんは主将を務めている。「人を巻き込み、自ら考え実行するという経験が社会人になってからも生きている」と改めて感じているそうだ。


■幼稚舎から続けたラグビーを大学でどうしようか考えた

高校時代に隣のグランドの大学の練習はいつも見ていた。慶應伝統の猛練習を見ているだけでついていけないと思ったが、他の大学でラグビーをするという選択はなく、流れに任せて慶應大学でやることを決断する。当時は明治のフォワードが強く、同じポジションとして魅力を感じていたという。でもタイミングが本当によかったと野澤さん。大学時代は黄金期を4年間経験することになる。
最大の理由は上田昭夫監督が戻ってきてしっかりと考えるラグビーを実践し始めたタイミングであったからだ。上田監督の教えは「限界まで走れ」という根性論はなく根拠をもった練習方法で効率的だった。
対抗戦の成績は在学中2位、1位、1位、2位という輝かしい成績を残す。1999年-2000年シーズンでは関東学院大学を27-7で破り1984年以来の大学選手権で優勝した。野澤さんは2年生ながら主力メンバーとして大活躍した。
そして2年時に大学選手権で優勝した後、ニュージーランドに留学した。
しかし名誉ある日本代表に選ばれ3か月で戻ってきた。
慶應時代の野澤さんは、どんな相手にでも立ち向かっていくタイプ。

おとなしい対応の選手が多かったのを感じ、意図的に相手に突っかかっていくこともあった。結果、全員の闘争心に火をつけていた。
大学時代はとにかくベスト4まで行って1月2日にテレビに出ようというのが
ひとつのモチベーションになった。結果4年間全てベスト4以上だった。


■夢だった神戸製鋼に進む。そして神戸を選んだ理由

大学3年時に日本代表に行った時感じたのは、神戸製鋼の選手の技術力がずば抜けているということだった。ここに行かなければラグビー業界から取り残されると痛感した。
同志社大学で大学選手権3連覇を経験したミスター・ラグビーと呼ばれた平尾誠二さんが築いたラグビーを中心に圧倒的な技術とサーカスのようなパス回しに圧倒された。考えると野澤さんの小学生時代の卒業文集の夢がかなったわけだ。そして念願の神戸製鋼に入団する。当時はまだ社会人ラグビーで働きながら練習をするというスタイルが主ではあったが、ちょうど二年目から2003年ラグビー・トップリーグが発足したこともありラグビーに専念できる契約制度が出来た。
仕事はやらず、終日ラグビーができる環境も整っていた。
3年目はほぼフル出場したが、4年目以降も出たり出なかったりのシーズンが続いた。2007年は副将に抜擢されたが怪我も多く2008年でやめようと思った。
ラグビー人生の最後を学生時代に経験したニュージーランドでプレーしたいと思い留学を決意したが引き留められ、2009年まで神戸製鋼でプレーを続け、引退した。
達成感も味わい、やり切った感もあったのでラグビーから離れようと思った。


 ■セカンドキャリアでもう道は決まっていた

引退して次の道は小学生時代から決まっていた。
父の仕事、即ち山川出版社を継ぐこと。
ただすぐには入社せず2年間は別の出版社で働かせてもらった。
大学卒業後、プロ契約選手の生活を送っていたため、新入社員ができるような簡単な業務もミスをしたりという状況で、一から仕事を叩き込まれた。
ラグビー界からは少し距離をおこうと思い解説者だけ続けていたが、当時慶應大学時代の恩師上田昭夫監督から「そんな若い時期から解説やるのではなく、ラグビーが好きだったら体を動かせよ」と言われ、母校の慶應高校でコーチングをスタートさせた。すぐにコーチングという仕事の魅力に取りつかれた。そして2012年から、中竹竜二さんのもとで本格的にコーチングを学ぶ機会を設けていただいた。コーチングと同時に若者のスカウトと育成にチャレンジする為に全国を飛び回った。現在は日本ラグビーフットボール協会でTIDマネージャー(Talent Identification and Development)という立場でユース世代の選手発掘と育成も担っている。
現場を回ることで課題にも気づいた。将来性のあるサイズやスピードに秀でる選手でも強豪校でなければリクルーターの目に留まることもなく競技を引退してしまう。そこで『ビックマンファストマンキャンプ』を立ち上げた。彼らが次のステージでラグビーを続けられる機会を増やすため進学を決める高校2年生を対象とした。2018年に立ち上げたこのキャンプの一期生が現在の大学4年生。高校ジャパンやU20日本代表に選ばれる選手も出てきた。彼らの中で一人でもリーグワンでプレーする選手がでてきてくれたらと野澤さんは話す。


 ■MBAを取得した理由

ラグビーのコーチもしながら勉強もかかさなかった。2016年グロービス経営大学院でMBAを取得する。人に合えば仕事が生まれネットワークも広がると感じた。
『人として特にラガーマンはラグビー引退時がピークを迎えるのではなく、引退してからセカンドキャリアで勝負する準備が必要だ。』そのためにもMBAを取得して能力開発と人的ネットワーク構築に磨きをかけた。2016年に山川出版社でICT事業部を立ち上げる。当時は学校教育にもデジタル化の波が押し寄せ早急に改革が必要だった。その時にもグロービス経営大学院時の同期の方に加わってもらったことが原動力となった。
2018年代表取締役社長を務める中、ICT事業を加速させており2021年には地歴のコンテンツサービス「山川&二宮ICTライブラリー」も立ち上げ予想以上の顧客数を獲得した。
『前例のないことにチャレンジできる精神はラグビーで培った決断力があったから』と野澤さんは話す。


■今のアスリートに伝えたいこと

現場を回っていると運動部活がはやらないことに危機感を感じている。
2020年新型コロナウィルス感染拡大によって止まってしまった学生スポーツを何とかしたいという想いから、学生時代のラグビー部の仲間と【#ラグビーを止めるな2020】と言うTwitter上で学生が自分のプレーをアピールするプロジェクトを立ち上げた。当時、大会が無くなる中、モチベーション維持と進路に課題を感じ、バスケットボールと一緒に止めるな活動をスタートさせた。コロナ禍での閉そく感もあり、各スポーツに一気に飛び火し7月に継続的に課題に向き合うことを目的に一般社団法人スポーツを止めるなを設立し代表理事となった。
これも、そもそもは全国を歩き回って現場で出てきた課題から生まれたプロジェクトだった。
こういった企画はとにかく、足でまわり、沢山の人に会い、そして人的ネットワーク作った結果だと野澤さんは言う。
『今の若い人もとにかく行動してほしい・・・』それと学び続けることの重要性を伝えたいと野澤さんは言う。
『トップアスリートは一生懸命に頑張ったからこそなれる領域。そういった人は決断力においても一般の人と違う能力も持っている。ただ、それだけでは社会人として成功するのは難しい。常に人と会い、本を読んでインプットし、自分をアップデートし続けてください!』と熱く語る。
現在は山川出版社の代表取締役社長でありながら、日本ラグビーフットボール協会TIDマネージャー、そして母校のコーチを含む6つのチームコーチを務めている。
170㎝100キロと日本代表の同ポジションでは群を抜いて小兵だった。
強靭な肉体と精神力がなければできないポジション。
現役時代に培ったことがセカンドキャリアにも生きていることは野澤さんのキャリアをみればわかる。
こういった若者がもっともっと増えてくれることを野澤さんは望んでいる。

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