下島 千穂『チャレンジする事が未来につながる。できない事なんて何一つ無い!やる気と根気でステージアップ!』

下島 千穂
1975年生まれ。北海道出身。小学校3年生からバレーボールを始める。中学は全道大会で準優勝。中学選抜に選ばれ全国大会に出場。高校は名門旭川実業へ。卒業後NECレッドロケッツへ入団。NECでは8年。そして全日本マネージャーを5年経験。退社後、ファッションの世界へ転職。2004年ファッション界から美容業界へ転身。2008年に独立して株式会社YC・Primarilyを設立。世田谷区三宿にリラクゼーションサロンを開業。2011年には美容商材メーカーも立ち上げる。2018年に表参道へサロン移転。リラクゼーションと美容室を併設したLOVE CHROME TOKYO Hair&Scalp LABをオープン。


これまでのキャリア

●小学生時代に北海道で準優勝
●北海道留萌中学の時に、中学選抜に選ばれる
●旭川実業高校でインターハイで準優勝
●NECレッドロケッツ入団
●全日本バレーボールマネージャー
●独立して株式会社YC.プライマリー代表取締役に


バレーボールが大好きだった

なんとなくはじめたバレーボール。当時身長が高い方ではなかったものの姉と一緒にやっていたこともありバレーボールが楽しく好きになっていった。
小学校のチームで全道大会出場。
中学は留萌中学で2年生からレギュラーで活躍。ポジションはセンターで全道大会へ出場。
3年生で全国大会に出場し、準優勝。3年時は活躍が認められ北海道中学選抜としてさわやかハイに出場した。
中学の活躍で目に留まり高校は強豪校旭川実業高校に進む。
後に全日本で活躍することになる、成田郁久美選手と同期生で常に全国優勝の筆頭に挙げられたが、春高バレーでは成績を残すことができなかった。
最高成績はインターハイ準優勝にとどまった。
ポジションは172㎝だったがジャンプ力がありセンターポジションを任された。
高校卒業後、同期の元日本代表成田郁久美選手とNECレッドロケッツに入団。最高成績はインターハイ準優勝にとどまった。


■想像以上に高いハードルだった実業団チーム

NECレッドロケッツは日本一にもなったことのあるリーグではトップクラスのチーム。もちろんコートに立てるのは結果を残さないといけない。
身長は172センチとセンターポジションにしては背が高い方ではなかった。
背の高い人に勝つためには持ち前のジャンプ力に磨きをかけるしかなくトレーニングに励んだ。しかし実力者揃いでなかなかコートに立てず選手としては中々日の目を見ることはなかった。でもくじけることなく、練習を懸命にしていた。
そういった努力は監督の目にもとまり選手を気遣う行動力や率先して動く姿を買われて選手兼マネージャーとして活躍することになる。
そんな中、当時NEC監督の葛和さんが監督として全日本にいくことになった。
入団3年目の時であった。下島さんもチームに籍をおきながら葛和さんと一緒にマネージャーとして全日本に合流することになった。
全日本チームは想像以上に大変だった。選手が合流すると同時にほとんど遠征というスケジュールになり、また海外遠征では2か月に及ぶこともあった。
全日本のマネージャーというのは、広報や選手のケア、海外での交渉、またメディア対応をしなければならない。経験もないまま、若いからか勢いもありできたのかなと下島さん。
今から考えるとNECに8年間に在籍をして5年間、全日本バレーボールチームのマネージャーとして過ごしたことになる。ただ海外遠征も苦にならず自分に向いている仕事だと感じた。
全日本のマネージャーをした結果、世界が広がった。
このころにはセカンドキャリアをしっかりと考えるようになった。
海外遠征は様々な国を回りながら時差も考えなければならない。
若いながらスキルも身に付き、大変な仕事ではあったが冒頭にあったメディア対応、広報活動がスムーズにできるようになった。
選手も続けてはいたが、海外遠征のおかげで自分の視野が広まり、退職後の世界がみえはじめた。


 ■アパレルブランドからヘッドハンティングに

NECは企業に残ってそのまま働くことができる。退団してNECに残っている選手は多い。しかし下島さんは残る気はなかった。全日本マネージャーを終了した時点でNECを退職し、同時に選手として引退することも決めた。
新たな道で活躍の場を求め始めた矢先。イタリアのコスチュームナショナルの店長をされていた人が、バレーボールファンということで縁がありヘッドハンティングされた。
退職後そのイタリアブランドの表参道本店ではたらくことになった。


■人に関わる仕事が好きなことに気が付く

接客も好きになっていったがそれ以上に綺麗な空間とか綺麗なものをつくることに興味をもち、ニューヨークに留学しにいった。そして販売よりもVMDにはまってしまった。
【VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)とは、ストア・コンセプトや売場の統一コンセプトに基づき、品揃えや店舗デザイン、プロモーション、陳列方法などを連動させることによって、商品の特徴を視覚的に演出していくマーチャンダイジングの手法。】
改めてバレーボールのマネージャーというありがたい仕事につけたことに感謝した。


■ビジュアルマーチャンダイジングと美をビジネスに

1年間であったがニューヨークの経験をいかすためにVMDをアディダスでやらせてもらった。
そこで店舗つくりをやらせてもらった。
VMDでフリーランスをやりながら、リラクゼーション系の専門学校に通い「美の勉強」も同時並行で学んだ。
勉強中に知人から「リラクゼーションサロンの立ち上げを手伝って欲しい」という誘いを受け、現在は20店舗以上ある某サロンの立ち上げサポートに携わることができた。そしてその会社では現場運営、人事、広報全てを任された。
立上げから3年間はとても忙しく、産後2ヶ月で現場復帰、子供を移動できるクーハンに入れながらプライベートと仕事を両立していた。
しかし二人目の子供を出産した時に、これでいいのかという考えが浮かび、仕事のスタイルを変えなければと思い、仕事の見直しを考え始めた。


二人目の出産を機に仕事のスタイルを見直した(独立)

雇われる側から自分のスタイルでできる経営者として仕事ができればということで2007年10月に独立を決意した。子供の近くで働ければという思いが強かった。
出産をしても女性が輝き続ける環境を更につくりたいと考え始めた。
下島さんの考え方は、女性が本来持つ「心=精神」と「力=能力」そして「美=凛々しさ」を内面からそれらを引き出し、身体のバランス。精神のバランス。呼吸のバランスを整え、心地よい感覚を引き出すというもの。
そうすることで「本来の自分の美しさ」「本来の素敵な自分」に目覚めて頂きたいという考えのもと2008年3月に世田谷でキッズスペース付きprivate salon primarily.bを設立。その後銀座店・深沢店と次々に理想のサロンを展開。
業も展開。サロン経営の傍ら美容メーカーとして商品のプロデュースやコンサルティング業も展開。そして2010年にヒット商品となった静電気を拡散・除去してくれるヘアコーム「ラブクロム」を開発。下島さん自身の経験から開発された商品だが、妊娠・出産中に髪の毛の悩みが出始めたためであった。サロン経営の傍ら美容メーカーとして商品のプロデュースやコンサルティング業も展開。
2008年12月に銀座店をオープン。2009年4月には深沢店をオープン。
そして2011年6月には美容商材メーカーをスタートさせる。
2013年6月にはコンサルティング業もスタート。
2018年10月Primarily・b三宿店を表参道にリニューアルオープン。
そして今現在のLOVE CHROME TOKYO Hair&Scalp LABを2020年10月に表参道にリニューアルオープン。


■セカンドキャリアを考えるにあたって

バレーボールに熱中していたころは、それ以外のことは考えられなかった。
しかしマネージャーとしてではあるが、全日本に帯同し色んな経験ができた。
今の自分があるのは、その時の経験のおかげだと未だに感謝している。バレーボールを一生懸命にやらなかったら出会えなかったことばかりだ。
しかし今の子たちは情報収集の多様化により、すごく頭が研ぎ澄まされている。
特に20歳代の子は色んな事に興味をもつことが可能になっていると思う。
アスリートだからスポーツしかできないというのは違うと思う。努力した結果がトップアスリートになることが出来、その努力は絶対に素晴らしい能力を身に着けているはず。限界までやり遂げた人にしか見えないその先にある世界が待っています。と下島さん。

 

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