黒川 真緖『現役後もやりがいを見つけてほしい』

黒川 真緖
1981年生まれ。東京都小平市出身。小学校3年生、9歳のときにバドミントンをはじめる。小学校6年生時には東京都でシングルス、ダブルスともに優勝する。その後、中学・高校と日本橋女学館へ進む。中学生の東京都大会ではシングルス、ダブルスともに優勝。高校3年生ではインターハイでダブルス準優勝。その後、青山学院大学に進み団体でインカレ2連覇、4年生ではダブルス準優勝という成績を残す。卒業後、NTT北海道へ進み一年目に1部リーグ新人賞を獲得。ミックスダブルス全国3位に。4年後、チームが廃部となったが、新潟の建設会社に移籍しバドミントンを続けた。2009年に引退。2012年にスープカレーのお店をオープン。


これまでのキャリア

●1993年 東京都小学生都大会優勝
●1996年 東京都中学生都大会 シングル・ダブルスとも優勝
●1998年 インターハイ準優勝  選抜全国大会団体3位
●2000年~ インカレ団体2連覇
●2003年 NTT北海道に入社 1部リーグ新人賞獲得
●2007年 全国ミックスダブルス3位
●2012年 引退後スープカレー専門店のオーナーシェフに


■何気なく始めたバドミントン

小学生の頃から体を動かすことが好きで水泳をやっていた。
9歳の頃に母親の勧めでバドミントンと出会うことになる。
地元の小平市はバドミントンが盛んで小学生のチームも多々あったが、ある時チラシをみて強豪チームの存在を知った。東京でも有名なチームだったので母親の勧めで体験会に参加した。
はじめてやったスポーツだったが想像以上に楽しく、ひらめきでこれだと感じたと黒川さん。
でも根っからのアスリート魂をもっていたのか厳しい練習も楽しかった。人一倍練習をして6年生時に出場した東京都の大会でシングルとダブルスで優勝するという快挙を成し遂げる。まさか自分がここまで出来ると思っていなかったが、これがきっかけとなりバドミントンを真剣にやることを決める。水泳は4年間やったがバドミントン一本に決めた。
強豪中学からの誘いも多かった中、日本橋女学館中学へ入学。
中高一貫の学校だったこと、そしてこれから強化して全国1位を目指していく方針の学校だったのが決め手になった。
すぐにチームは強くなり、個人的にも東京都大会ではシングルとダブルスで優勝。
ただ、バドミントンで全国大会に出場する道のりは遠い。地方予選・関東大会を勝ち抜いて全国大会出場となる。高校でも東京都ではずっとナンバー1、そして関東大会も勝ち抜き全国大会に出場したがインターハイ準優勝、選抜全国大会団体でも準優勝に終わり全国大会優勝は叶わなかった。でも自分的には頑張れたと思っていました。
高校卒業時も複数の企業や大学から誘いがあった。その中で青山学院大学に進む。2年時と3年時にインカレで団体戦2連覇。個人戦はインカレで準優勝と言う成績を残した。想像以上にチームのレベルが高く、先ずはチーム内で勝たないとメンバーには選ばれない。かなり厳しい環境ではあったが、絶対に試合にでる!という負けん気でがんばることができ、厳しい練習もバドミントンが好きだったので楽しみながら乗り越えることが出来たと黒川さん。そして社会人でもバドミントンをすることを決意する。


■想像以上にきびしかった実業団

大学卒業後、リーグに所属するNTT北海道へ進む。他にも実業団チームから誘いがあったが、あえて誘いが無かったNTT北海道を選んだ。
1部リーグで戦うところを求め、もっと自分自身をスキルアップしたかった。
常にトップレベルで試合をしたいという気持ちが大きかったため、厳しい練習も乗り越え入社一年目でリーグ新人賞を獲得。この賞は成績をしっかりと残した選手が選ばれる賞で本当に嬉しかった。ただそれ以降は苦しみ、全国社会人大会ではミックスダブルスで三位というのが最高成績だった。
その頃、トップ選手との差を感じ始め自分の実力がわかってきて、苦しい日々が続いた。でもとにかく勝つというのがいつも目標だった。
入部して4年が経った頃、悪い知らせが。NTT北海道としてスポーツ支援をやめていくことが決定しバドミントン部も廃部となった。そのまま北海道で働く道もあったが自分自身でやり切った感もなかったので誘いがあった新潟の建設会社に移籍する。
翌年の新潟国体で優勝することを目標とし、新潟代表として国体に出場したが優勝はできなかった。移籍した時に2年間精一杯頑張ると決めていたので2年後に現役を引退。
引退後はお世話になった新潟の企業で会社勤めをしたが、長年のアスリート経験が邪魔して自分には向いていないなと感じ始め、違う職に就くことを考え始めた。目標も無いまま日々を過ごしていたが、このままでは楽しい人生が送れないと考えるようになった。
自分が楽しくなれることは何だろう・・・、悩んだあげく飲食業に進むことを決めた。
親が飲食業界で働き、その姿を観てきて憧れがあったのも一つの理由だった。


■東京でもスープカレーを広めたい

飲食業界に行くと決めた時、真っ先に浮かんだのが北海道時代に大好きになったスープカレーだった。北海道では札幌市内だけでも200店舗以上あり、北海道名物として有名だけど東京ではまだまだ浸透していなかった。
2003年に横浜カレーミュージアム内でスープカレーのお店が出店し、ようやく関東でも認知されるようになった。
知名度は広がりつつあったが、それを口にした人はまだまだ多くはない。
黒川さんは飲食業に進むからには大好きなスープカレーのお店を持ちたいという強い気持ちを持ち、2011年退職を決める。
2012年に自分でお店を出す決意をする。北海道在住時代の4年間で約80店舗ほどのスープカレーを食べ歩いたことからオリジナルのレシピを考案。そして「スパイス&スマイル」というお店を開業した。
名前の由来は、スープカレーを食べて、笑顔になって頂きたいという想いから名付けた。バドミントンをやっているころから、トップレベルになればなるほど応援している方やファンの笑顔が一番の励みになっていた。
例えばランチに来ていただいた方々には、ここを息抜き出来る場にして頂いて気持ちよく午後の仕事が出来るような接客も心がけた。
日々接客を重ねていくうちにお店の経営者とアスリート時代の自分の共通しているのは、毎日の地道な積み重ねの部分だと気づき始めた。
営業中はバドミントンで言えば試合であって、仕込みや準備は毎日の練習のようなもの。
そしてスープカレーに関してはこう考えている。
北海道では当たり前の食事であるものが東京ではなかなか巡り合う食事ではない。まだまだ店舗数も少なくわざわざ食べに行こうかと考えられるものでもない。今は多店舗経営は考えていないが、いつかスープカレーの伝道師になりたい。東京でも当たり前の食事になってほしいと思っている。
毎週スープカレーを食べたいと思ってもらえるようにしていきたいと黒川さん。
スパイス&スマイルは、バドミントン業界では評判の店になっていて常連さまも多い。トップの選手も食べにくる人気店になっている。


■引退してからの人生はながい。
 しっかりとやりたいことは考えていこう!!

バドミントンは想像以上にハードなスポーツ。選手寿命は長くない。
つまり引退してからの人生の方が長い。そこはしっかりと、どうやって楽しいことができるのか考えてほしい。自分もなかなか現役時代に考えることはなかったが、今は起業して大好きなスープカレーのお店をもつことができた。でも考えるとアスリート経験で培った精神力や集中力がなければできなかったと感じることが多い。アスリート人生は20年前後、引退が30歳だとしてもその先は長い。楽しい人生を過ごすために、楽しいことは人それぞれ違うけれど、しっかりと考えて自分でみつけて全うできればこれ以上の幸せはないと黒川さん。

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