家高 七央子『スポーツを支える組織や仕組みを日々勉強することで、スポーツの素晴らしさを伝えていきたい』

家高 七央子
1991年生まれ。長野県出身。幼少期からアルペンスキーに熱中していたが、家族や周りの勧めで中学校2年生の時に県内のバレーボール強豪校の裾花(スソバナ)中学校に転校しバレーボールをはじめる。高校は県内の東海大学付属第三高等学校(現、東海大学付属諏訪高等学校)に進学。その後東海大学に進学し、2年生だった2011年インカレ(全日本バレーボール大学男女選手権大会)で優勝。4年生の時は主将を務める。卒業後はNECに入社し、女子バレーボールチームのNECレッドロケッツで活躍。2018年に選手引退。その後社業に専念し現在も勤務。


これまでのキャリア

●2011年 東海大学2年生時、インカレ(全日本バレーボール大学男女選手権大会)優勝
●2013年 第27回ユニバーシアードカザン大会 日本代表として出場

●2014年 日本電気株式会社(以下「NEC」)に入社
■■■■ ■女子バレーボールチームNECレッドロケッツに入団
●2015年 第28回ユニバーシアード光州大会 日本代表主将として出場 銅メダル獲得

●2015年 Vプレミアリーグ優勝
●2016年 AVCアジアクラブ選手権優勝
●2017年 Vプレミアリーグ優勝
●2018年 バレーボール選手引退


■アルペンスキーで活躍

長野県木曽郡で生まれ、雪が多い土地柄幼少期からアルペンスキーに熱中していた家高さん。県大会でも上位に入賞するほどの実力で、その後も競技を続けていくつもりだった。
そんな中、中学校2年生の時に転機が訪れる。雪がない夏の時期、自身のトレーニングの一つとして姉がやっていたバレーボールの練習に参加していた。運動神経が良く身長が高かったこともありバレーボール強豪高校の監督の目に留まる。バレーボールへの競技の転向を勧められ、当時県内の強豪校だった裾花中学校に転校することを決意する。親元を離れ寮生活へと生活環境も大きく変わったが、バレーボール転向後直ぐに頭角を現し、中学校3年生の時に全国都道府県対抗バレーボール大会で主力選手として活躍した。
高校は県内の強豪校東海大学付属第三高等学校(現 東海大学付属諏訪高等学校)に推薦入学。1年生の時から春高バレーやインターハイに出場する活躍を見せた。高校卒業時には企業チームからの誘いもあったが、4年間しっかり身体を鍛えたいという想いや教員免許の取得を考え、東海大学に進学する。
大学2年生の時にインカレで優勝。そして4年生では主将を務め活躍する。大学時の活躍が認められ2013年には第27回ユニバーシアードカザン大会に日本代表として出場。2015年の第28回ユニバーシアード光州大会では日本代表の主将として出場し、銅メダルを獲得。

大学卒業後は競技を離れ一般企業に就職することも考えたが、大学で一緒にプレーした先輩の姿を見てNECで競技を続けることを決意した。


■NECレッドロケッツを選んで

大学時代の友人や尊敬している先輩の存在もあり、NECレッドロケッツでの選手生活はとても充実していた。
NECレッドロケッツは1978年に日本電気グループを代表するスポーツチームとして発足。チーム発足同年、当時の下部リーグにあたる実業団リーグで優勝し、入れ替え戦で三洋電機に勝ち日本リーグに昇格。日本リーグでは1988年シーズンで初優勝。その後も2023年の優勝も含め7回の優勝を誇る。現在はVプレミアリーグという名称になっているが、日本リーグ時代から一度も降格したことがなく安定した強さを誇るチームである。
家高さんが入団した翌年、当時3連覇がかかっていた久光製薬スプリングスを下し、9年ぶり5回目のVリーグ優勝を果たした。2016年にはAVCアジアクラブ選手権に出場し初優勝を飾る。そして2017年にもVプレミアリーグで2年ぶりの優勝を飾るなど、選手としてVプレミアリーグ2回の優勝を経験する。


■社業に専念していく決心を

NECに入社した当初から選手引退後は会社に残ると決めていた。引退した選手は事務職への配属が多い中、あえて営業職を希望しNECファシリティーズ株式会社に配属される。「難しい業務内容でしたが、業務の流れを理解したり専門用語などを沢山勉強したり、やりがいを感じる仕事でした。上司にも恵まれて楽しく仕事に取り組めていましたし、配属されてからの3年間はとても充実した日々でした。」

そして2回目の転機が訪れる。2021年4月、 NECが所有するスポーツチームであるレッドロケッツとグリーンロケッツ東葛(ラグビーチーム)のスポーツビジネス事業の拡大を目指しスポーツビジネス準備室が発足され、1年後の2022年4月「スポーツビジネス統括部」が新設された。営業職でかつアスリート経験者である家高さんにも当然声がかかり、「スポーツビジネス統括部」への異動が決まる。
現在NECでは、女子バレーボールの他にプロ化が進みつつあるラグビーのチームがある。今までの企業スポーツは企業が100%バックアップをする運営手法であったが、近年スポーツ界ではプロ化が進んでおりNECの企業スポーツも時代の流れと共に法人化、ビジネス化に向けてBリーグ(バスケットボール)のチーム発足者を招き入れ、スタートしている。「スポーツビジネス統括部」はその中心的な役割を担い、家高さんはレッドロケッツとグリーンロケッツ東葛のスポンサー営業を担当している。現在120社ほどの企業からスポンサードを受けNECロケッツが運営されている。
「チーム運営の業務を行うようになって、3年間の営業経験が活かされる場でもある反面、バックオフィス業務などを見ると、自分も選手時代は現場に支えられていたんだなと改めて認識し、スポーツを支える組織や仕組みというものを日々勉強しています。今、仕事がとても楽しいです。」
また、家高さんは日頃の業務の傍ら、未来のアスリートを育てる下部組織のレッドロケッツアカデミーのコーチとしても活躍している。


■川崎市から発信していく

川崎市はスポーツの街。NECレッドロケッツは2005年6月に横浜市都筑区の横浜事業所から川崎市中原区の玉川事業所に移ったタイミングで川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーに認定されチームとして地域への活動も行っている。サッカーの川崎フロンターレ、バスケットボールの川崎ブレイブサンダース、アメフトの富士通フロンティアーズ、女子バスケットボールの富士通レッドウェーブ、野球の東芝ブレイブアレウス、そしてNECレッドロケッツがあり、いずれのチームもホームタウンスポーツの推進パートナーとして地方自治体と一体になり「スポーツとまちづくり」を推進すべく盛り上げている。
バレーボールは1964年の東京オリンピックでの女子金メダル、1972年のミュンヘンオリンピックでの男子金メダルを皮切りに幅広い年代から愛され、企業スポーツとしても長年支持され成長してきた。そのバレーボールも一部プロ化が進み、プロ化が進めば当然コストもかかり企業スポーツとしての運営は難しくなっていく。これからの時代の流れに合わせた「独立したチーム運営の構築」を進め、引き続き地域の活性化に繋がる地方自治体のパートナーチームの一員として、今後も家高さんの活躍が益々期待される。

 

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