佐田 樹里『願いは幸せな女性をふやすこと』

佐田 樹里
1982年生まれ。福岡県出身。全日本代表経験のある元バレーボールプレーヤー。高校時代からの活躍で全日本ジュニア、全日本ユースにも選ばれ世界大会での優勝経験も。高校卒業後JTマーヴェラス、日立佐和リヴァーレと7年間トッププレーヤーとして活躍。引退後、結婚・出産を経てバレーボール解説者やバレーボール教室をしながらボディメンテナンスサロンを経営。そして企業向け研修講師も務める。


これまでのキャリア

●1999年 熊本信愛女子学院で春高バレーベスト8
●1999年 ユース日本代表として世界ユース優勝
●2001年 アジアジュニア選手権準優勝
●2001年 JTマーヴェラス入団
●2003年 日本代表に召集される
●2005年 日立佐和リヴァーレ入団
●2007年 引退
●2011年 YOSA PARK樹 創業
●2020年 Bright up に名前を変更
●2021年 ULTインストラクター(女性ホルモンインストラクター)
●2022年 企業研修スタート


■大好きではじめたバレーボール、ただ高校時代にあまりにも厳しく挫折しかけた

小学校3年生の時に大林素子さんに憧れて志願してバレーボールを始める。
小学生からバレーボールを始める人は、母親や姉がやっていて始めるパターンが多い中珍しい。既に160センチあったのもバレーボールに結びついたという。好きなバレーボールだったが小学生のときは県でベスト8がやっと。
中学は強豪の久留米市立筑邦西中学校に入学。九州大会そして全国大会に出場。
高校は強豪の全国常連校熊本信愛女学院に進む。1年時からユニフォームを着て三年時にはベスト8まで進む。ポジションは常にレフトかセンターのエース。
ただ高校の練習は厳しく何度もやめようと思い挫折しかけた。
高校では何もやってもうまく行かず、想像以上の厳しい練習についていけなくなった。それでもユース日本代表に選ばれ世界選手権優勝、アジアユース選手権準優勝、2001年ジュニアアジア選手権で準優勝。ジュニア日本代表時は調子もよく、またバレーボールに夢中になれた。
やっぱりバレーボールは好きだと、佐田さんは続ける決意をする。


■実業団のトップチームでプレーをしようと決意

悩んだ結果、2001年高校在学中にJTマーヴェラスに入団。
JTでは優勝することはできなかったが、レフト・ライト・リベロと様々なポジションをこなせるユーティリティープレーヤーとして活躍。そして2003年には日本代表のリベロとして招集がかかった。その時のエピソードとして、当時高校生で全日本に入った木村沙織と合宿で同部屋になり、ファンに書くサインを考えたという。2005年までJTで続けたが、日立佐和リヴァーレの吉田國昭氏に直接懇願されて入団。日立で2年間プレーを続けた。小柄ながらエースとしての勝負強さに加え堅実なレシーブの要として大活躍、最後のシーズンは主将としてチームを支え続けた。
2007年シーズンでは怪我も多くなり惜しまれながら5月の黑鷲旗を最後に引退する。当時日立は3年間在籍すれば会社に残れるというシステムもあったがバレーボールプレーヤーとしての人生は閉じた。
しかし引退した瞬間に、元バレーボール選手という肩書だけでおわるのは嫌で
セカンドキャリアで何かをしないといけないと、引退後試行錯誤した。
コーチとして活躍をと言うことも考え春高を目指せるチームを作ると言う「春高コーチングキャラバン」のコーチを2年間続けた。当時は最年少コーチと言うことで話題になった。そして2009年には長女を出産して一時期バレーボールから離れる。


■お母さんたちが元気になれるサロンをつくりたい、そして勉強

バレーボールでは174センチで身長と大きな方ではないため練習でも常に120%の力を出していた。主婦業というのは常にそういった状態。そういった女性の方々が安らげる場所、2011年から女性のためのボディメンテナンスサロンYOSA PARK樹を設立。 身体を芯から温める効果のあるYOSAを使った独自サロンを佐賀県で開業。
お母さん方には大変好評で噂が広まり人気のサロンとなった。
サロンを経営する傍ら、2016年からDAZNバレーボール解説者やバレーボール教室、スポーツイベント講師、イベントにも積極的に参加。
ただセカンドキャリアとしてこれでいいのか?という疑問も持ち始めた。
母になってからも、心のどこかで男性である夫より活躍したい!稼ぎたい!という思いがあり、やる気と根性でガムシャラに仕事をした。でも頑張れば頑張るだけ、虚しさが残った。そして、夫婦仲も悪くなり、私の体調も悪くなり、自分が求めていた物は何なのか考えはじめた。そんな時に、改めて女性ホルモンのメカニズムや女性脳について勉強しようと考え始めた。
そこで学んだ事を元に、今までの人生での失敗を考え、女性ホルモンのメカニズムを活用し、仕事や生活をしたらどうなるのか?ということを、自ら活用してみた。すると、仕事や生活がうまくいきだしただけでなく、女性としての在り方、考え方が変わり、肩の力抜きながら、楽しみながら生活できるようになった。

 

 


■もう一度輝きたい。そして始めた企業研修

知り合いの社長に、人生の主人公は自分だよ!
仕事で成功したいなら、付き合う人を変えなさい!
と言われ、その頃ママ友しか知り合いがいなかった私は、異業種懇談会に参加するようになった。
そこで、「今の樹理ちゃんは、歌手になれる素質があるのに、マイクを持たない人と同じだよ!」と言われ、自分と向き合い、やっと自分の強みややりたい事、使命にたどり着いた。
自分では気が付いていなかったが、相手に説得力のある話がしっかりできる。
そういったアドバイスをして頂き、自分自身はこれで止まってはいけないと。
サロンでは日本一になれない。女性にしかできない企業研修で日本一になろうと佐田さんは思った。
デリケートゾーンのインストラクターの資格をとった。そして1年間しっかりと勉強をした。女性ホルモンのメカニズムをしってそれを実践して勉強することによって理解が出来た。
当初は現役のアスリートや学生に伝えたかったが、アスリートだけではなく女性全員の問題だと気が付き、女性向けの研修をすることを決意。


■女性ホルモンアドバイザーという肩書で

なぜベストなコンディションで現役時代プレーが出来なかったというのが「女性だからこそ」というのがわかった。
女性特有の生理があるからこそ、ベストなコンディションで戦えないことが無ければいいのにという浅はかな考えや、またなぜ生理痛があるのかわからないまま現役時代を過ごした。我慢してプレーするのが美学だと信じていた。
生理はとめてしまったほうがいいと考えるアスリートもいる。
でもそれが疲労骨折に繋がるということも知らなかった。
これをアスリート向けに(選手向けに)実践しようと。
男性の監督が多いのでなかなか理解が進まなかったが結果が出た。
それを理解していた他競技の一流プレーヤーは結果をだしていた。
意外にトップアスリートはわかっているようで全くわかっていなかった。
それを選手に取り入れていけば活躍できる可能性は高くなりベストな状態でプレーできるはずだと佐田さんは考えた。


■企業研修を本格的に

「女性のパフォーマンスは、ホルモンメカニズムによって変わる。
女性には男性以上に集中できる期間がある」
と言ったことを経営者に対して実施し始めた。
女性社員さんには、女性ホルモンのメカニズムを理解していただき、不快な悩みを予防していただくことで、効率的に仕事をしていただくサポートをする研修。また女性脳の仕組みを理解していただくことで、「身体と心のセルフコントロール」というのを実践してだくという研修。
また、男性社員さんには、女性ホルモンのメカニズムや女性脳の仕組みを理解していただくだけでなく、会社や家庭でも、すぐに使える声掛け方法などの研修を用意している。社会作りのきっかけになればいいと佐田さん。


■企業に合わせた内容を研修で

女性研修は今までもたくさんある。
ただホルモンメカニズムという視点での企業研修はあまり聞いたこともなく
これで日本一をとりたいとプログラムを考え展開中。
女性が活躍できる社会づくりと言っても、課題は様々で、女性社員さんのエンゲージメントをあげたい、女性の心身についての理解度をあげたい、女性管理職を増やしたいなどを全国に広めていきたい。
今まで以上にもっともっと女性が活躍できる場を違った視点でつくりたい。
佐田さんの夢はまだまだこれからだ。

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