石川 直宏『「自分を知り、そして深ぼる」ことを積み重ねてほしい。』

石川 直宏
1981年生まれ。神奈川県横須賀市出身。5歳の時にサッカーを始める。小学生時代は横須賀シーガルズに所属。中学からは横浜マリノスジュニアユース追浜に所属。高校に入ると横浜マリノスユースに昇格する。卒業後は横浜F・マリノスのトップチームに昇格してJリーグデビュー。2001年にはU-20日本代表として背番号10を背負って出場。2002年にFC東京へ移籍。2003年日本A代表。香港戦で国際Aマッチ初出場を果たす。2009年には自身初のJリーグベストイレブンに選出される。2017年選手引退を発表。引退後はFC東京クラブコミュニケーターに就任。また自らネクストキャリアとしての活動を積極的に展開している。


これまでのキャリア

●中学時は横浜マリノスジュニアユースとして活躍
●高校時は横浜マリノスユースとして活躍
●2000年 高校卒業後 横浜F・マリノスのトップチームの一員としてJリーグデビュー
●2001年 U-20日本代表としてワールドユース大会に出場
●2003年 日本A代表に選出される。国際Aマッチ初出場
      FC東京へ移籍。Jリーグフェアプレー個人賞を受賞 
      Jリーグ 優秀選手賞受賞
●2004年 U-21日本代表としてアジア大会で準優勝
      U-23日本代表。JOMOオールスター戦でMVP受賞。
●2009年 J1大宮戦で初のハットトリックを決める。日本代表選出。
      Jリーグ 優秀選手賞受賞
●2012年 日本代表復帰
●2017年 シーズン終了後に引退
●2018年 FC東京クラブコミュニケーターに就任


■横浜マリノスユースで大活躍

石川さんは、5歳の時近所でよく遊んでもらっていた2つ上のお兄さんがサッカーをやっていたことがきっかけでサッカーを始める。幼稚園年長で横須賀シーガルズに入部すると、小学校1年生時には3年生チームに入るほどずば抜けた存在だった。小学生時代は常に活躍していたこともあり6年生では清水市のサッカー大会で優秀選手に選ばれる。
中学からは学校のサッカー部に所属することが一般的だが、オファーをもらう形で横浜マリノスジュニアユースの追浜に所属した。
当時、横浜マリノスのジュニアユースは2チームあったが、「個」を重視する追浜に入ることに決めた。
中学時代はまだ成長期前で体も小さかったが、将来性を買われて1年生からメンバーに。しかし石川さんは「フィジカル面でもすごく差があるし、なんで自分が出てるんだろう」という気持ちから、なかなかチームに馴染めなかったという。
高校生時はそのまま横浜F・マリノスユースに所属した。サッカー強豪校への憧れもあったがプロになるためにはマリノスで6年間しっかり見てもらい評価してもらいたいという想いが強かった。
周りに比べて身体が大きくなかったため、自身の武器であるドリブル等の技術を磨いた。
大学進学の誘いもあったが、プロになりたいという夢を追いかけるためにとにかく練習した。その成果が実り卒業後は横浜F・マリノスのトップチームに昇格し、夢だった念願のプロサッカー選手という職業につくことになる。

 


初めての挫折

横浜フリューゲルスとの合併によりユースが統合し、ポジション争いが加熱したことにより初めての挫折を味わう。当時石川さんのポジションはトップ下だったが、ライバルにポジションを奪われ右サイドへコンバートされることになった。ただ持ち前の努力で徐々にスピードを身につけ右サイドアタッカーとしての能力を開花しはじめた。
2000年にJ リーグデビューを果たすと同年にU-19日本代表、翌年2001年にはU-20日本代表に選ばれるが、横浜F・マリノスでは出場機会が得られず、紅白戦ではBチームの控えにも入らなくなっていった。2002年4月、当時原博実さんが監督を務めていたFC東京からのオファーを受け期限付き移籍。移籍3日後に行われたナビスコカップ 清水エスパルス戦では得点のアシストを記録し、その後レギュラーの座を獲得。そしてU-21日本代表にも選出され、アジア大会で準優勝に貢献した。


 ■FC東京への完全移籍そして引退

2003年8月にはFC東京に完全移籍。レギュラーとして活躍し、その年のJリーグフェアプレー個人賞を受賞した。同年にはアテネオリンピックを目指すU-22日本代表とA代表に選出。
オリンピックでは結果を残すことができなかったが、その年のオールスター戦ではゴールを決めMVPを受賞し、チームとしてもナビスコカップ優勝のタイトルを獲得した。
その後の怪我による長期間の離脱を乗り越え、2009年はプロ入り初のハットトリック、5年半ぶりのA代表招集、初のJリーグベストイレブンにも選出され充実した一年になった。しかしシーズン終盤に怪我を負うと、その後も度重なる怪我に悩まされ、2016年には引退を考えるもクラブからの強い慰留を受け再起。
2017年、8月に引退を発表。同年12月3日のラストマッチで得点をアシストし勝利して自ら引退の花道を飾った。
石川さんはプロとしてのサッカー人生の最後は絶対ピッチに立つことを目標としていたという。120%の力を最後の試合に注ぎ込んでチームメイトやファン、サポーターに恩返しをしたかったと話す。


■30歳のころからネクストキャリアを考え始めた

5歳から37歳まで32年間サッカーを続けてきた石川さん。
若いころはそこまでネクストキャリアを考えてはいなかったという。FC東京時代は海外でのプレーも考え語学を勉強したが、常にサッカーがベースであった。
ただ30歳ごろになると、まだ現役ではあったがネクストキャリアのことも視野にいれはじめた。キャリアデザインセンターで学んだりしたが、就職は簡単だけど選択肢は少ないと感じたと石川さん。自分から積極的にビジネスパーソンが集う場に参加しはじめ、コミュニティ作りをした。
そのころからコーチや監督として残るのではなく、誰もやっていない領域でサッカーを支えていきたいと考え始めていた。
そのためには、自分自身の感度を高め、人脈を広げていくことで自ずと具体的なネクストキャリアが見えてくると。
引退した当初はやり切った感もあり、しばらく休んで充電しようとも考えたが、FC東京でリーグ優勝ができなかったことを考えると、まずはクラブをもっと強くできるじゃないかという思いが強くなり動き始めた。クラブから引退後チームに残ってほしいという話はあったが、育成や普及、ホームタウン活動も含めたものがサッカークラブであるという想いが現役から強かったため、クラブとの話し合いの結果、それぞれの部署や、ファン・サポーターなどステークホルダーを繋げていくクラブコミュニケーターという新たな立場に就任した。


■農業という発想

育成やチームの普及、ホームタウン活動を考えた中であるイベントを企画して実施した。三鷹市の都市農園を応援するイベントだ。その内容は農業というコミュニティを通して繋がりの場を提供していきたいというもので、その農園で取れた野菜でバーベキューをしてサポーターや地域の方々と一緒に食べるイベント。その際にファン、サポーター、ホームタウンの方々との繋がりを改めて実感。「これだ」と感じたという。
みんなが集える場であり、ものを作る喜びを感じ、地元の人とも繋がる。
そしてそこには地元のチームに所属する選手が参加している。
ひとつのモデルケースとして、楽しさを共有して農業を広めていきたいと感じたそうだ。
2020年の5月、石川さんは現役のサッカー選手やプロ志望の学生を対象にオンライン勉強会に登壇する。石川さんは講演と、参加者が世代や所属クラブの垣根を越えて語り合う場を提供した。選手たちは改めてサッカーがなくなったら何ができるんだろうと考える機会となった。サッカー選手の平均年齢は26歳。他のスポーツに比べて活躍できる年数は極端に短い。こういった場で自ら考え、ある意味危機意識をもってもらう。ただ、危機意識だけもたせることは誰でも出来るが、石川さんはその活路のひとつとして農業を見出した。かねてより関係性のあった株式会社I.D.D.WORKSの三橋亮太代表と「長野県飯綱にアスリートが”化ける”農園をつくりたい」というテーマの元、自ら石川さんの名前をとって「NAO‘s FARM」をつくった。自らも定期的に足を運び農場長見習いとして動いて運営している。
自然と向き合い共生していくことや新たな仲間と協力し、地域のつながりに感謝することで共にやりきった時の景色も一緒に見てみたいという。

ネクストキャリアで農業をやりましょう!と言うことではなく、農業というひとつのコミュニティを通して、自分のキャリアに対する感度を上げ「熱」を感じてほしいということ。
石川さんには農業を通して壮大なVISIONもある。
今や全国に根付いているJリーグの各チームに、地元の人たちとアスリートがコラボした農園をつくっていきたいと。そして共感してくれる仲間との出会いも求めている。


■アスリートはすごいパワーがある

 アスリートは、幼少期から中々経験することが出来ない「勝負での勝ち負けを受け入れる力」「失敗」「成功」「仲間との関係性」「絆」が研ぎ澄まされているはず。そして誰しも熱量を持っており、「やり切る姿勢=諦めない姿勢」は突出しているはずだと考える。
こういったパワーを生かすことも自分次第。現役時代から積極的にコミュニティに参加し、自分自身の感度を高める体験をして「自分を知り、そして深掘りする」ことを積み重ねてほしい。また趣味や繋がりをもちながらエネルギーを得てほしい。これらの積み重ねで、セカンドキャリアが見えてくると石川さんは語った。

©MIMIZUYA

 

 

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